神の武具を身につけなさい

御 言 葉

 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかり立つことができるように神の武具を身に着けなさい。

   エフェソの信徒への手紙 6:13


 パウロは私たちに神の武具を身に着けなさいと勧めます。それはどういうことでしょうか?それは第一に私たちの弱く醜い肉体がそれによって隠れるということです。そして第二にその弱い醜い肉体の代わりに強く美しい武具が私たちの表面に現れるということです。それが私たちの新しい現実となることです。救い主イエス様の義、イエス様の聖、イエス様の永遠の生命、それが罪に陥りやすく、何をしても死んでしまえばすべて終わりという虚無感に捉われやすい私たちを包みこんでいてくださっているという新しい現実です。神の武具を着るということは、たとえ私たちがどのような罪人であっても、イエス様が主、自分はその僕だと信じてしっかり結びつき、どこまでも従っていくならば、私たちの外にもまた内にも恐れるものはなく、いきいきと前に向かって進んでいくことができるということです。つまり、私たちはさまざまな煩いから解放された自由の者なのです。世の常の自由とは、いつも先にあって戦い取らなければならないもの(長い歴史において人間はさまざまな自由を勝ち取ってきました、それが人類の進歩というものでした)、したがって完全な自由というものは永久に自分たちのものではない相対的な自由ですが、キリスト者はすでに完全に解放された者、自由を与えられた者のことです。ですから、聖書は自由を得るために戦えというようなことは勧めません(もちろんもろもろの社会悪や差別とは戦いますが)、それよりも既に持っているその自由を失うな、その上に立って揺るぐなということです。

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