とこしえに共にいます主

御 言 葉 

 主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

   イザヤ書  40:31


 神は天上において天の使いと共に会議を開かれます(例えば詩編82)。便宜上第二イザヤと呼ばれている紀元前6世紀後半に活躍した無名の預言者も、幻の中でその会議を垣間見さされて、当時バビロンにおいて捕囚生活を続けていたイスラエルの民がエルサレムに帰還するとの希望を人々に伝えます。「神の会議」などと言いますと古代人の考え出した妄想と思う人たちもいるかもしれませんが、会議が開かれたという表現の目的は、人が歩む歴史に無関心でいられない神が、人が立てた愚かな計画をほうっておけずに介入する。その神の思いをリアルに伝えるために天上での会議の様子がつぶさに語られるのです。このようにして、預言者の告げる言葉は生きた臨場感を得るのです。
 第二イザヤは会議を見て、言葉を与えられて、神の言葉は必ず実現する、神は私たちを力強く前進させると励まします。しかし、そのような臨場感あふれる言葉を与えられても、私たちは神から離れやすいものを抱えているのです。第二イザヤから約500年後、神はそのような私たちのために御子を地上に遣わしてくださいました。この方は私たちと同じ人間でもあられます。この方の言葉はそのまま神の言葉であり、その言葉は必ず実現し、そして、神から離れやすい私たちの傍らにいて共に歩んでくださっているのです。

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