この世に生きる

御 言 葉

 アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。

   創世記 23:16


 イエス様は、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」(ルカ20:25)とおっしゃいました。私たちは導きを信じて歩む者たちですが、しかし、かすみを食べていては生きていけません。毎日、食っていかなければならないのです。神の導きに従う暮しが霊の暮しならば、こちらは肉の暮しと言えるでしょう。神に造られたものとして、肉の暮しだけではそれは人間の暮しではありませんし、神の御言葉に従ってだけならば、たちまち私たちは今日の食べ物にも困るということも多々生じることでしょう。私たちは神に選ばれた者だ、神の約束を信じている者だといくら主張しても、キリスト者の群れはまことに小さいのです。周りの人たちには通用しません。私たちは別のものを信じて生きていると言い返されるのが関の山でしょう。私たちはこのような人たちを相手に日々交渉し、肉の暮しのための糧を得なければならないのです。霊と肉、この二つに引き裂かれそうなこともありますが、しかし、私たちは戦いながらもこの二つを結び合わせて、この世で生きていくのです。この二つを結び合わせる責任を持つということこそ、私たちが属している社会で責任を持つということでもあります。イエス様がこの世に来られる約2000年前、実はあのアブラハムこそ、いくつかの過ちは犯しながらも、異邦の地にあってその責任を果たした人なのです。

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