貸し与えられた生命

御 言 葉

 ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」

    ヨナ書 4:8b~9a


 『ヨナ書』を読みますと、ヨナの生命は神様が貸し与えているものと実感させられます。彼自身の気持ちに関わらず、神様が彼にニネベでの使命を与え、彼自身が自暴自棄の言を吐こうとも、神様の側のご意思によって彼の生命を守られます。彼の生命は神様がお造りになり、それを貸し与えて、他の人たちのために使うことをお望みなのです。
 私たちの場合もそうです。私たちの生命は自分勝手にしてよいものではありません。自分たちの生命は自分のもの、そういう思いが心の根底にある限り、親の嬰児殺しも(子どもは自分のものという考えがあるからでしょう)、介護に疲れて家族を殺したり、自死を選んだり、痛ましい出来事の後は絶たないでしょう。しかも、この生命を自分のためではなく、他のために使ってこそ神のご意思に沿い、生きる感謝と喜びが湧いてきます。もちろんこういうことを口で言うのはやさしいことです。神様に支えられ導かれてこそ分からせていただくことです。その意味で、老年に達してこそ恵みの時かもしれません。赦されて今を生きていること、今できる事があること、そのありがたさを実感できるのはむしろ老齢を迎えてからこそなのですから。

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