罪のゆるしを信ず

御 言 葉

 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

   マルコによる福音書 2:17       


 イエス様は、罪にがんじがらめに縛られて苦しんでいる人たちに、「あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。見せかけだけの義人である律法学者やファリサイ派の人たちにそう言われても、受け取りがたいですが、罪を全く知らない方から言われれば、さぞ嬉しかったことでしょう。当時の人たちは、さまざまな病や障害は自分の抱える罪が原因と考えていましたから、その罪が赦されていると聞けば、生きる勇気もわいてきて当然です。それでは、そう考えていない現代の人たちはどうでしょうか。そのような言葉をイエス様から聞いても嬉しくないでしょうか。いいえ、現代の人たちでも、福音書を読んでイエス様の言動と自分のありのままの姿とを照らし合わせてみれば、そこにはエゴイズムに縛られた罪深い自分が立っているのが分かるはずです。自分ではどうにもしようがない罪がこの自分にまとわりついているのに気づかされるはずです。この罪は、自分ではどうにもならない、イエス様によって赦していただく他に手立てはありません。イエス様が人々に、あなたの罪が赦されたとおっしゃるとき、ご自分の十字架の上の姿を重ねてそうされたのです。私たち本人もが気がついていないような大きく根深い罪をも含めてすべてをイエス様が担ってくださって、犠牲として十字架にお付になって、神様の前でその罪を帳消にしてくださる。この方によってこそ、現代の私たちも赦していただき、生きる勇気がわいてくるのです。

 説教概要一覧へ