御 言 葉
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
ヨハネによる福音書 21:12
弟子たちの前に復活なさったイエス様が現れて、そのお姿を見せてくださいました。確かにイエス様は復活なさったのです。ですが、その経験だけによってあの弟子たちの態度が180度転換したのでしょうか。ユダヤ人たちの追及を恐れて逃げ去り、戸に鍵をかけて部屋に閉じこもっていた彼らです。ところが、『使徒言行録』に記されているところによれば、度重なる迫害にもかかわらず、福音を告げ知らせ続けます。教祖様は死んでおらず、今も生きておられると信じている宗教は他にもあります。キリスト教はそれらの宗教と変わらないのでしょうか。実は、弟子たちの経験は生きておられるイエス様に出会ったということだけに終わらなかったのです。イエス様にどこまでもついて行きますと約束していながら、すべての弟子たちが裏切りました。師を失って絶望し、ユダ人たちの追及を恐れ、裏切ったという思いに苦しめられている彼らの前に現れたイエス様は、皆を赦しているということをその行動、お言葉のうちにお示しくださったのです。自分たちは赦されている。しかも、彼らは、十字架に向かうイエス様のご生涯こそが、どのような者でも赦すということをお示しになっていたものであり、それをよしとして神様は栄光の復活をお与えなったのだということが分かってきたのです。自分たちのような者でも赦されている、神様に愛されている、彼らの勇敢な行動の原動力はこのような信仰だったのです。