御 言 葉
ナボトはアハブに、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と言った。
列王記 上 21:3
イスラエルの民にとって、土地は単なる物的財産でも生産手段でもありませんでした。土地は神からの贈り物です。モーセに率いられてエジプトから脱出したのは、一人一人に土地を与えるためでした。奴隷となり追い使われる民の悩みを見、嘆きに耳を傾ける神は、民を憐れみ、彼らを「乳と蜜の流れる地」に導き入れられました。それは、神のおきてと恵みに生きる喜びを身をもって知らせるためだったのです。神がそうなさったのは民が優れていたからではなく、むしろ彼らは罪を多く知り、強情な民でした。それにもかかわらず、神は彼らを慈しまれたのです。与えられた土地に民が生きることは神の救いを生きることであり、そこに生きる者にとって土地は神の救いの見えるしるしなのです。この土地は神の救いのわざを受け継ぐ相続財産、嗣業です。ですから、ナボトは絶対に譲ることが出来なかったのです。私たちの教会も神からの贈り物です。そこにおいて私たちは神と交わります。教会は、神との自由な交わりを保証してくれる嗣業でもあります。たとえ、小さな教会でありましても、数が少ないという理由だけで簡単に数教会を統合出来ない理由がそこにあります。