石の心を取り除く

御 言 葉

 主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。

   エゼキエル書 36:22


 南のユダ王国が滅び、国のおもだった人たちがバビロンに捕虜として連れていかれましたが、神は預言者エゼキエルを通して、人々を故国に帰らせるとおっしゃいました。しかし、それは人々のためではない、私のため、すなわち神のためだとおっしゃるのです。このような言葉を聞きますと、何かしら神はエゴイスティックな方かと思ってしまいそうですが、神の真意はそのようなものではありません。神の思いは、人間の救いは直接には人間のためであっても、究極的には神のためである。それはもちろん人間のためには違いないが、本当に神の救いが人間のためになるには、それが神のためにあるということなのです。たとえ民主主義の社会にあっても、この私が自分のため、人のためだけにと願って励んでも、そこには必ず行き詰まりが生じます。神のためにと決心して励んでこそ、たとえこの私が弱くとも行き詰まりは生じませんし、意味のある生き甲斐を覚える業(わざ)が可能なのです。身を低くして神を受け入れる者には神の力が働き、神の力は神のご用のために私たちを用いてくださるのです。神のご用のために働いてこそ、それは尽きることがありません。

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