御 言 葉
洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
ペトロの手紙 Ⅰ 3:21
私たちは常に平和を望んでいます。私たちの国はもちろん、他の国にも戦争が起こって不幸な人たちが出るのを望んではいません。しかし、人間の長い歴史において戦争は起こり続けました。今も、世界のあちこちで戦いが生じ、いつ終わるとも知れません。さまざまな事情が重なって生じてしまうのでしょうが、仕方がないと諦めたくはありません。戦争反対の声を上げ続けなければと思います。
と、言いましてもこの私に自信がありません。いつなんどき迫害があれば、たちまち戦争反対の声を上げられなくなる自分なのではないかと不安です。自分の中の良心に自信がありません。
しかし、こういうような私のためにこそイエス様は十字架にお付きになってくださったのです。「正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。」(18節)イエス様はこのような弱い私のことがお分かりです。この方が私を支え導いてくださいます。私たちは自分の中の良心に自信がなくとも、救い主に向かって叫ぶことが出来ます。この私に良心をお与え続けてくださいと。そう願い求めながら、戦争反対の声を上げ続けていきたいと思います。