手を動かすことが出来ない人

御 言 葉

 彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。

   マルコによる福音書 3:5


 安息日はもともと仕事などをしないで静かに暮らして、神様に礼拝をささげる日でした。それが、いつの間にか仕事をしてはいけない日になってしまい、その日に仕事をしないことが神様に喜ばれるのだとユダヤの人々は思い込むようになっていました。手段が目的となってしまい、安息日に仕事をしているか、していないかによって人を裁くありさまでした。もちろんイエス様は安息日の本来の意味をよくご存知ですから、周囲の裁きの目を跳ね返すようにして、人々を癒されました。長年手が萎えている人に出会えば、その人の苦しみを思い、即癒されました。会堂において、大勢の人々が見守っている中で、イエス様の御言葉に従ったこの人も勇気が必要でした。彼も掟破りとして見られてしまうのですから。しかし、イエス様の御言葉の方を選ばざるを得ないほど、彼の苦しみは長く辛いものだったのです。これまで辛かったのだから、安息日が過ぎるまでその治療を延ばしてもさほど変わらないだろうなどと言えるものではなかったのです。彼はすべてを捨ててでもイエス様に従うつもりでした。すべてを捨ててでも従う、このような気持ちになっている者にこそ、恵みが与えられる。神様は従う者をこそ喜ばれるのです。

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