失望に終わることはない

御 言 葉

 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

   ローマの信徒への手紙 5:7~8


 人間は神に造られたものでありながら、アダムとエバ以来罪を犯し続けてきました。この罪がゆるされるためには、過去に犯した罪の責任がとられなければなりません。もし罪のゆるしが罪の放任であるならば、神の聖なる意志が無視され、神と世界の秩序が踏みにじられてしまいます。そのような状態では、神は神でなくなってしまいます。ですから、神は罪を放任することができず、罪をさばかれます。長い長い歴史を通して、人間は罪を犯し続けてきました。人間には罪がこびりついていて、もはや離れない状態です。罪は人間の一部が汚染されているというような状態ではなく、この私という人間全体、人格としての人間が神に背きやすいものを持ち、神の敵となっているのです。一部の除去で救われるとか、主観的に心の向きを変えてとか、もはやそのようなもので解決される状況ではないのです。罪がさばかれるためには、この私が一度死ななければならないというほど深刻なのです。しかし、この私が一度死ねば、もう再生は不可能、私は生きていけません。そういう私たちのため、人間でもあられるイエス様が、人間として罪を担って十字架の上で死んでくださったのです。そうして、神は愛により、再生、復活をイエス様にお与えになりました。

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