湖の上を歩く

御 言 葉

 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。

 マルコによる福音書 6:48


 本日の聖書の箇所には、イエス様が湖の上をお歩きになったと記されています。まことに不思議な話ですが、これはもちろん、人々を驚かし恐れさせて、イエス様の前に屈服させるという目的ではありません。この話のポイントは、「そばを通り過ぎようとされた」です。
 実は、これと同じ表現が旧約聖書にあります。例えば、出エジプト記33章22節です。この箇所では、神がモーセにご自分をお示しになりたいのですが、汚れの多い人間は神の聖なる輝きには耐えられません。そこで、神はモーセを岩の裂け目に隠れさせて、通り過ぎた後その後ろ姿を見せて、ご自分をお示しになったのです。旧約聖書の他の箇所でも、「通り過ぎる」には、神が顕現なさったことを意味しています。ですから、新約聖書の本日の箇所では、「通り過ぎる」ということで、神と本質を同じくするイエス様が、湖の上で行き悩んでいる人々の前に顕現なさったということを意味しているのです。当時の人たちにとって海や湖は死のはびこる所、すなわち人間の救いを妨げる力に溢れている所、そこにイエス様、すなわち神が、常に私があなたたちと共にいるということを表すために、湖の上を歩かれたのです。聖書の奇跡物語は、あの道路標識のように、あくまでしるしであり、先に指し示しているものがあるのです。

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