公然と話した

御 言 葉

 わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。

   ヨハネによる福音書  16:20


 この世の力とはどのようなものでしょう。権力、社会における高い地位、富、名声等々、そのようなものでしょうか。多くの人々はそれらがあれば、他の人々を自由に利用でき、支配できると思い込んでいます。本日の聖書の箇所でも、同じ神を仰いでいながら、大祭司たちは、イエス様をそれらを用いて自分たちの都合のよいように裁き、ついには死刑を宣告しようとします。しかも、下役たちを使って、イエス様をさまざまに愚弄します。このような場面に接しますと、私たちはまさにお気の毒なイエス様と思い、これがイエス様のご受難かと悲しくなります。もちろん、イエス様はお一人の人間でもありますから、不当な扱いを受ければ人間としてお苦しみになるでしょう。しかし、この方は、父なる神を信じ、常に神の力に依り頼んできた方です。大祭司たちがこの世の力でこの方を押し潰そうとしても、ご自分の生き方を貫き通します。神に従うということで、主体的に生きてきたのです。今もそうしておられます。受難の場面でありながら、ここにはイエス様の大胆で自由な生き方が貫かれているのです。この世の力ではなく、神の力に依り頼んでこそ、人間は主体的に自由に大胆に生きられるということをまさに示しておられるのです。

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