自由の回復へ

御 言 葉

 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

   創世記 3:4~5


 人間の最大の特徴は自由です。自然が必然性(動物なら本能)の法則に従って動いているのに対して、人間は自分の意志で選択する自由を持っています。どんなに恵まれている状態にあっても、もし自分は不自由だ、誰かの奴隷だという屈辱感を持っている時には、その人には必ず反抗心が芽生え、折を見て独立しようとします。そのくらい人間の自由は本来のものなのです。この人間の自由は、絶対的に自由な神によって「神の似像(かたち)」として造られて以来与えられているものです。造られたときに、鼻から神の息を吹き入れられた人間は、自由意志で神に応え、神に聞き従うことによって、真の人格となれるのです。しかし、この自由を乱用して、人間の神への応答性を放棄しますと、聖書では罪と呼ばれているものに陥ります。罪は「的はずれ」という意味です。的をはずれた流れ矢のように、人間としての目標をからはずれ、照準の狂った生活を送ること、それが罪なのです。蛇の誘惑に惑わされて、この自由を誤って使ったのがアダムとエバでした。禁断の木の実を食べて、自分たちも神のような高貴なものになれるかもしれないと思った彼らが見出したのは、惨めな裸の姿でした。それ以来人間は、的はずれなことをしやすいものとなってしまいました。しかし、神はこのような人間でも愛し続けてくださいました。アダムとエバが楽園を追放されても、そこで終わりではありませんでした。彼らの追放は神の子としての自由の回復への旅の出発点でもありました。もちろん、そのゴールはイエス・キリストです。

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