福音は力です

御 言 葉

 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

   ローマの信徒への手紙 1:16


 パウロはかってイエスの福音を恥としていました。彼にとってイエスの教えは憎むべき異端であり、イエスに従う者たちは無学なガリラヤの漁師たちであり、軽蔑すべき徴税人たちでした。それらは恥ずべきことでした。それゆえ、彼はキリスト者に対して熱烈な迫害者となりました。しかし、彼がキリスト教に回心し、福音の内容を理解した今、「わたしは福音を恥としない」と断言しているのです。

 福音の内容は、一つの観念ではなく、信じる者に生きて働く神の力です。「力」と訳されている言葉はギリシア語ではデュナミス。その言葉から英語のダイナミックも派生しています。パウロは神の力を自らにおいて体験したのです。福音によって自分にこだわる気持ちが砕かれ、新しい自己の誕生を得て、ダイナミックな生き方を見出すことが出来たのです。
 ではその力はどのようにして得られるのでしょう?それは、イエス・キリストを信じることだけです。こちらがたとえ正しくなくても、常に正しい神に心を向けていく。そのような自分と神との関係が、わたしたちにとっての正しさなのです。それが、わたしたちの救いでもあります。そして、そこから神の力がわたしたちに働きかけます。どのような状況に置かれようとも、わたしたちもダイナミックに生きられます。

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