欠けてはならないもの、この私です

御 言 葉

 目が手に向かって、「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

     コリントの信徒への手紙 Ⅰ 12:21~22


 「イエスは主である」。これは私たちの信仰の根本です。世の中にさまざまな宗教がありますのに、なぜ私たちはキリスト者になったのでしょうか。教会に通い始めるのにいろいろ理由があったでしょうが、信仰が永続するためにはやはりパウロの言う通り(コリント Ⅰ12:3)、聖霊の働きがなければ不可能だと思います。教会に来始めても、やがて離れてしまう方がいるのはまことに残念です。私たちが御言葉を受け入れて、それに従う姿勢を貫いていますと不思議に聖霊が働いて、支え、導いてくださいます。そして、確かに気が付く時が与えられます。「イエスは私たちの主、私たちは僕である」。この関係こそ、不自由に見えて実は心がまったく解放され、これこそ自由な暮らしだと実感させられます。このような恵みを与えてくださるために、まさに神様が私たちを選んでくださっていたのだと思わざるを得ません。
 教会に集う者はすべて神様に選ばれた者たちです。そこに、誰が優れて、誰が劣っているというような判断は無用です。皆、神様に選ばれて集っている、欠けてはならない者たちです。教会において、神様はすべての者を有用なものとして使ってくださいます。私たちは互いに仕え合い、共に喜び、共に悲しむのです。

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