御子を犠牲にされた神

 御 言 葉

 「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。

     ルカによる福音書20:15~16


 イスラエルの民は、神様の差し伸べてくださる愛の手にもかかわらず、背き続けました。都合のいい時にだけ神様に救いを求め、一旦安全が得られるとたちまち背きます。そしてまた危険に陥ると助けてくださいと叫びます。このような民であるにもかかわらず、神様は助けてくださいました。何故でしょう?

 それは「神の名」(エゼキエル 20:9)のために救ってくださるのです。神の名誉とか対面のためではなく、イスラエルのような貧弱な民でも神様は救ってくださる、それならば全世界の人々が救われないはずはないということをお示しになりたい神様のご意志のためなのです。神様の救いの計画は全世界の人々のことを考えているのです。そのためにまずイスラエルのような特別優秀でもない、他の民とあまり変わるところのないイスラエルの民を、背いても背いても救ってくださったのです。

 そのすべての人々への救いの計画が成就したのが、御子イエス様を犠牲にしてまでも愛を示してくださった十字架です。

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