信仰のないわたしを助けてください

御 言 葉

 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」

   マルコによる福音書 9:23     


 私たちはイエス様を救い主と信じて日々の暮しを営んでいます。しかし、不幸なことが生じれば、たちまちその信仰は揺らいでしまいます。「神も仏もあるものか」と叫び出したくなるようなこともあります。ですが、その叫びの奥底にやはりイエス様を信じていきたいという気持ちも確かに宿っています。本日の聖書の箇所の父親の叫び、「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」は、まさに信仰が揺らぎがちな私たちの叫びでもあるでしょう。この父親は、何とか息子の病を治してやりたいと願い、それこそ全財産を使い尽くしていたのかもしれません。これまで誰に頼んでも無駄だった、今回イエス様にお頼みしても、もしかしたら無駄骨かもしれない、そういう小さな疑いがあって、「おできになるなら」(22節)と言ってしまったのでしょう。この父親の気持ちからしたら当然の発言かもしれません。しかし、彼はそういう揺いでいる気持ちをすべて、他ならぬイエス様に告白したのです。イエス様も十字架の上で息を引き取られる間際に、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と、他ならぬ神ご自身に訴えました。そこには神への信頼がありました。この父親にもイエス様への信頼がありました。私たちの信仰もともすれば揺らぎがちです。ですが、それでもイエス様にすべてを打ち明ける。訴える相手が神ならば、必ず恵みが与えられる、あのヨブのように。私たちはそう信じています。

 説教概要一覧へ