互いに向き合う者-助け手

御 言 葉

 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

   創世記 2:20     


 女の創造は「人が独りでいるのはよくない」(創2:18)という神の言葉で始まります。ここでの「よくない」は目的に合っていないことを意味します。つまり、独りでいることは人間が造られた目的にそぐわない、人間は交わりを持つべきものとして造られたのであって、独りで暮らすためではないということです。そこで、神は人(男)にふさわしい助け手を造ろうと決意します。この「ふさわしい」と日本語に訳されている言葉は、元来「相対する向こう側」を意味します。したがって、「ふさわしい」ということは彼の方に向いている者ということを意味します。従属するのではなく、向き合っている者です。最初から、人は孤独になるようにとは造られなかった。向き合い、交わりを持つべき存在として造られたのです。ですから、助け手といっても、従属した補助者ではないのです。人がそれを欠くなら、もはや一人前の人とはなり得ない、対等のパートナーのことです。そのパートナーがなくては本来のありようを実現できないのです。しかも、神が人のあばら骨から女を造ったのは(創2:21)、女が人すなわち男の後から来た劣った存在ということを意味しません。人や動物は土から造られましたが、女だけがあばら骨から造られました。それは、男と女の一体性を強調する表現であり、男と女は違うということを意味します。その違いを持ちつつ男に向き合うパートナーは女であり、女に向き合うパートナーは男です。近頃、セクハラ問題で世界が騒がしいですが、あらためて聖書に記されている男と女の創造の意味を正しく受け取り、それぞれに男と女の責任を果たしたいものです。

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