一人だけが感謝することを思い出した

御 言 葉

 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

   ルカによる福音書 17:17~18     


 自分は社会から疎外された者だ、生きていてもこれから先いいことなど少しもないと自分だけを見つめている人は、イエス様が傍を通られてもただすれ違うだけでしょう。私たちは信じて顔を上げてもっともっと神に求めるべきなのです。勇気を出して「あわれんでください」とイエス様に求めたところに出会いがあり、10人の人たちは神の癒しの力に触れることが出来ました。しかし、物語はそこで終わりません。その中の一人が帰って来たのです。彼は癒されたことが神の恵みによることに気が付いたのです。イエス様が来なかった9人のことを残念がり、来た彼を祝福なさった理由はここにあるのです。神から受けた恵みをどこまでも神の栄光としてあらわし、イエス様と共に歩むところにキリスト者としての生き方があります。私たちにとって大切なことは、イエス様から何事かをしていただくことより、むしろイエス様が共にいてくださることを知ることなのです。一度癒されても、人生においていつ転落するかもしれません。転落から救われるということが私たちの究極の喜びではありません。それよりも、人生において何事が生じても、恐れず前進できることの方が喜びです。神の恵みを信じ、イエス様と共に歩んでいればそれが可能です。神ともにいます。イエス様は9人にこのことを知ってほしかったのです。

 説教概要一覧へ