ゲッセマネにて

御 言 葉

 あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。

      マタイによる福音書 26:40b~41a      


 十字架にお付きになる前、ゲッセマネにおいてイエス様は父なる神様に「できるならばこの杯をわたしから過ぎ去らせてください」と願いながらも、しかし、御心に従いますと祈り、覚悟を固めます。イエス様が汗を血のように滴らせながら祈っている間、弟子たちはその側にいながら眠ってしましました。私たちはあれこれ心労しますが、それには限界があり、どこかしらで風穴があいているのです。徹底的に私たち人間の罪について心労し、救い出してくださろうとしたのは神様であり、その独り子イエス様です。人間の罪について心労しつくし、人間に絶望し、そして独り子を犠牲にしてまで救い出してくださった神様です。

  私たちは自分自身よりも徹底的に心労してくださる神様に私たちの心労をおゆだねしています。しかし、それは、あずけているから安心と思って、まるで陶酔しているような状態になっているということではないのです。心を鈍らせる数々の心労を神様におゆだねして、私たちはしっかり目覚めて現実を直視し、この与えられている一日の間を現実と戦いながら着実に歩むのです。その歩みを神様は導いてもくださるのです。それが神様に心労をおゆだねするという意味ですし、キリスト者の生き方なのです。

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