イエス様が再び来られる

御 言 葉

 人の子よ、イスラエルの家は言っているではないか。「彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである」と。

   エゼキエル書 12:27


 イスラエルの民はエルサレム滅亡寸前にあっても、神殿がある限り自分たちは守られていると信じ、思い上がった暮しを依然として続けていました。預言者を通じて、神の審判としてエルサレムは滅びるとの御言葉を聞いても、緊急の重大事として受け取っていなかったのです。しかし、神は約束を必ず守られる方です。結局神殿は破壊され、民は捕囚としてバビロンに連れていかれました。
 私たちキリスト者はつい最後の時の審判のことは傍らに置いて、福音を信じることによって私たちの日常生活がどれだけいきいきとした充実したものになるかといったことに思いを向けがちです。ですが、福音書の中でイエス様が強調なさっているのはむしろ最後の時が来て、天からイエス様が再び来られて私たちが審かれるということです。その時はいつ来るか分からない、予想しない日、思いがけない時です(マタイ 24:50)。だから、今すぐ来てもいいように主に忠実であるかどうか、そのことを日常生活において検討しながら過ごしなさいとおっしゃるのです。福音の有効性などといったことを考える前に、私たちキリスト者に問われていることは、最後の時がいつ来てもいいように目を覚まして今の時を過ごしているかどうかなのです。

 説教概要一覧へ