正しい行為

御 言 葉

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。

     マタイによる福音書5:17


 イエス様の言動は律法を軽んじているように見えますが、逆です。神様からいただいた戒めを大切にしておられます。律法はこまごまと人間生活について指示を出していますが、その目的は「神様を愛し、人間を愛する」ことにあります。イエス様こそ、十字架に極まったその地上のご生涯において、神様への愛と隣人への愛を貫かれた方であり、生き抜かれた方です。律法学者でもファリサイ派でもなく、イエス様において律法が完成したのです。イエス様がしばしば律法に違反するかのように見える振る舞いをされたのは、むしろ、そのことによって本当に律法の本来の精神が生かされるためだったのです。
 このイエス様の十字架によって、神様とイエス様の交わりの中に私たちも入れられています。私たちの代わりに律法の厳しい要求をその身において満たされたイエス様が傍らに立っておられるのです。ですから、私たちの義とは、ファリサイ派がしていたような神様に対してまるであくせくと積み立てていく返済金のような義ではないのです。私たちはイエス様に結びつき、今できる事に励み、イエス様の支えと導きを信じて歩むのです。今は不可能でも、この私でもいつか律法を守り切れると信じて。

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