いのちは神のもの

御 言 葉

 お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を、洗って、清くせよ。

    イザヤ書 1:15~6 a


 ユダヤの人たちが肉を食べる時、血を抜いてから食べる習慣があることをご存知の方もおられるでしょう。例えば、申命記12章23~24節でそのことが命じられていますが、それは、人間が土から造られたように、動物の肉も地から造られ、地へ帰ってゆくからなのです。その意味で、神様のものではありません。ですから人が食べてもさしつかえありません。しかし、血はいのちであり、いのちは神様のものですから、血は食べてはならないのです。この申命記12章では、血は食べてはならず、水のように地に注げと命じられています。
このようにイスラエルの民にとって血はいのちの宿る場所であり、命は神様のものなのです。したがって、いのちを軽視することは、神様のものを不当に干渉することになります。人を殺すこと、あるいは、自分で自分を殺してしまうこと、それは神様のものを不当に侵害しているのです。神様は、獣であろうが、人であろうが、他の人の血を流したものからは必ず賠償を要求するとまでおっしゃっています(創世記9:5~6)。人は神様にかたどって造られているのです。人間にすぎぬ者が、「神のかたどり」に手を触れるのは、神様への冒涜でもあるのです。

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