約束されていたこと

御 言 葉

 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

   イザヤ書53:5


 イスラエルの民はその長い歴史において、神が愛してくださっているにもかかわらず背き続けました。滅ぼし尽くされても仕方がありません。しかし、彼らの歴史が絶えず続いたのは、神がご自分の名を諸国民の目の前で汚さないように行動し(エゼキエル20:9)、怒りの手をひっこめて、滅ぼすのを思いとどまられたからなのです。もともと神は人類全体の救いという遠大なご計画のために、イスラエルの民を選ばれたのです。選びといっても、彼らが優秀な民だからではなく、諸国の人々の目の前で無力な民イスラエルに栄光が与えられ、世界のすべての人に神の救いの力が分かってほしいと思われたからです。そのためにも選ばれる器は貧弱でなければならないのです。それでこそ、神の力は確かに知れわたります。
 神が人間の罪をゆるす。そのありがたさが身にしみて分かるには、ゆるされてもゆるされても背き続ける人間の現実を知らなければなりません。それを知って初めて、ゆるしの得がたさが分かります。反逆の歴史としか言いようがない生き方をしてきたイスラエルの民がそれこそどん底に陥った時、神はそのような民の間に、ついにイエス様のような、常識ではとても考えられない救い主をこの世に送られ、全人類が救いの中に入れるために、十字架にお付けになったのです。

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