御 言 葉
イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
マルコによる福音書 1:31
福音書にはイエス様の奇跡物語がたくさん載せられています。現代の人たちが一読すれば、「なんだばからしいことを」と一笑されそうなことも記載されています。しかし、科学知識によって合理的にすべてのことが説明できると思い込むことの方が、人間を知らないのではないかと私たちは言いたいのです。本日の聖書の箇所にしましても、シモン(ペトロ)の義母がイエス様に触れて、確かに不思議なことが起こったのです。人間に関して、人間の言葉ではどうしても言い表せないことが生じるのです。イエス様を通して、どうしても神と呼ぶしかない存在の力が働き、シモンの義母に生きる力が湧いてきたのです。福音書の中の奇跡は、イエス様は神の力によって何でもできる、どうだ、驚いたか、そのような存在に屈服せよというような意図で記載されていません。旧約の時代から神は人間がどのように背を向けるようなことを仕出かそうとも、導いてくださっています。新約の時代は、一人の人間でもあるイエス様を通して神の力が導き続けているということを示しているのです、そうして、この義母がイエス様をもてなしたように、導いてくださる神の愛に応え従い続けることこそ、神に造られた人間の本来の生き方なのです。奇跡とは、そこに神の力が並み以上に働いていること示すため、並み以上に従いなさいということを示すためにある一つのしるしと言ってもいいことなのです。