単純な服従

御 言 葉

 すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

  コリントの信徒への手紙 Ⅱ 8:9


 イエス様が私たちにお望みなのは、従うことだけです。御言葉を受け取って、それを実践するために一歩前に進むことです。ペトロやその兄弟アンデレがそうしました(マルコ1章)。しかし、あの富める青年はすることが出来ませんでした(マタイ19章)。財産を先ず多くの貧しい人々に施せとイエス様に言われましたが、それは出来ないと諦める前に、今はそうできないけれどもとにかくイエス様について行こうと何故思わなかったのでしょうか。そういう青年をイエス様は拒まなかったと思います。イエス様に従って行くうちにさまざまなことを経験し、十字架、復活、聖霊降臨と経て、財産を捨てることとはどういうことかと、理屈でなく実際に分かったはずです。そして、本来富んでいる方ですのに、私たちのために貧しくなられたイエス様と共に歩んでこそ真に豊かな暮らしが享受できると分かったはずなのです。私たちは豊かな社会の中で生き、私自身も豊かだと思い込んでいるかもしれません。ですが、神様がご覧になると、私たちの世の中も、私たち自身も実は貧しく惨めなのです。こういう私たちのためにイエス様が最低限のところまで貧しく惨めになられた。そういう方が私たちと共に歩んでくださる。この方に従うために、心の中で思うだけでなく、実際に一歩足を踏み出すべきなのです。それでこそ豊かな暮らしが始まります。

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