与えられているものに感謝して

御 言 葉

 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

     ヨハネによる福音書 6:11


 キリスト教は、霊魂とからだを合わせて一つの人間としてとらえます。肉体も大切にします。愛の業は私たちのこの肉体を使って行われるからです。イエス様も地上でのあり方とは異なりますが、「霊のからだ」として復活なさいました。霊魂のみが残って天に昇る、ということではないのです。イエス様子は霊のからだによって今も愛の業をなさっておられるのです。
 ですから、「肉のやしない」も大切です。4つの福音書とも「5千人に食べ物を与える」奇跡が記されているのもそのためでしょう。イエス様の許に群衆が集まりましたが、彼等には食べ物がありませんでした。弟子たちは最初からこの人たちに食べ物は与えられないと諦めていました。しかし、一人の少年が勇気を出してわずかばかりの食べ物を提供し、イエス様がこの与えられたわずかなものに感謝し、神様に祈ります。すると、皆に十分すぎるほどの食べ物が配られたのです。もちろんこの少年にも。私たちは足りないことのみに気を取られて嘆きますが、今あるものに感謝して、そこから出発し、皆が心を合わせて祈りながら歩みますと必要なものは不思議に与えられるのです。もちろん、霊のためだけではなく、肉のやしないのためのものもです。

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