奴隷として働かせてはならない

御 言 葉

 エジプトの国からわたしが導き出したものは皆、わたしの奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。

          レビ記 25:42


 イスラエルの社会には他のオリエント諸国と同じように奴隷制度がありました。しかし、イスラエルの彼らの扱いは他の国々に比べて寛大なものでした。そして、神様は次第に同じ人間を奴隷として働かせないようにというご意思を明らかにされます。それは、わたしたち人間はみな等しく神様の僕(しもべ)であるからです。もともとご自分がお造りなった人間が、同じ被造物の人間の僕なのは不自然なのです。

  イエス様はこの世に来られて、この父なる神様のご意思を言葉と業(わざ)においてお示しになりました。イエス・キリストの福音は言うまでもなくわたしたちの罪からの解放を約束します。それが中心的な事柄ですが、しかし、福音の約束はそれだけにとどまらず、わたしたちの魂もからだを含めての全人間の解放にまで及ぶのです。あらゆる意味で抑圧された人間がいるならば、その人は神様がお造りになったものにふさわしく、魂においてもからだにおいても回復されなければならないのです。ですから、この世の抑圧された人々、奴隷状態にある人々の解放のためにわたしたち神の子が協力するのは当然な事柄なのです。

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